紙ブグロはてな

新しいものについ飛びついてしまった後悔を綴ることになりそうな気がするけれどならないかもしれないブログ。

映画「ヤジと民主主義 劇場拡大版」がいよいよ12/9から公開されます

ヤジと民主主義の劇場拡大版が、いよいよ12/9から劇場公開されます。
yajimin.jp
www.youtube.com

自分は、11月にあった先行公開で見てきました。
事件から4年。
思えば自分も、ヤジ排除事件については結構SNSで言及してきたなあ……と思い、ログなど掘り返して振り返ってみようと思いました。
ツイートの引用だらけなので、とても重いページですが、よければ見てみてください。

  • 事件発生
  • ドキュメンタリー番組が放送される
  • 札幌地裁判決
  • 安倍氏襲撃事件
  • 最初の劇場版ドキュメンタリーの公開
  • 高裁判決
  • 劇場拡大版公開決定
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日本女性学会大会の、分科会Eパネル報告が気になっている。

日本女性学会大会の、分科会Eパネル報告が気になっている。

概要はこの女性学会のニュースレターを見てほしい。

https://joseigakkai-jp.org/wp/wp-content/uploads/2023/05/20d4e214d340aa03b5c01182453436de.pdf

フェミニズムの再生と再創造のために― グロー バリゼーション・ポストフェミニズム時代における課題」というタイトルで、司会はこのごろトランス排除を指摘されている牟田和恵さんだ。

この分科会は、江原由美子さんの著書「持続するフェミニズムのために」に触発されて、フェミニズムの再生と再創造の可能性を探るものだという。
牟田さんは分科会に向けてのコメントの中に、こんな一文がある。

近年フェミニズムは女性とは誰かという問題を巡って葛藤しているが、フェミニズムや学問の基盤として自由で闊達な場が提供されるべきことがその前提であることを確認したい。

「持続するフェミニズムのために」の中では、「女性とは誰かという問題」は、全く取り扱われていないように見えるので、このテーマ設定は不思議に感じる。また、文章の流れも不可解に思われる。「女性とは誰かという問題をめぐって葛藤している」のあと、逆説の助詞「が」を挟んで、「自由で闊達な場が提供されるべきことがその前提であることを確認したい」と繋がるのは、どういうことだろう。「女性とは誰か」と「自由で闊達な場」をつなげている背景の考えはなんなのか。

この分科会では、やはりトランス排除で話題になっている千田有紀さんも発表をする。コメントの中で、こう言っている。

第2波フェミニズムは、たんに階級やリベラリズムにも還元されない「女」の問題を掘り起こしたが、現在は「女」という集団が存在する/しないのか、その集団とはどのようなものであり/あるべきなのかという課題に直面している。

奇しくも千田さんも「女」という集団がどのようなものなのか、というものを問いかけようとしているらしい。「持続するフェミニズムのために」に触発されて発表する内容がそれなのだろうか?それとも、「持続するフェミニズムのために」に触発された発表をするというのは、司会の牟田さんの思いであって、発表する側はそれを意識してはいないということだろうか。

ただ、接続する方向が一つあるかな、と思っている点がある。それは、千田さんが「トランスジェンダー新自由主義に基づく存在だ」と思っているフシがあるという点である。*1

千田さんは、トランスジェンダー当事者のゆなさんとのやりとりのなかで、下記のようなことを言っていた。

新自由主義的な潮流を背景に、トランスのみならず、すべての人のジェンダーアイデンティティジェンダー表現が尊重されることが法律で定められるようにすらなってきているのだ。これは事実的な指摘である。

「女」の境界線を引き直す意味-『現代思想』論文の誤読の要約が流通している件について|千田有紀

実のところ、ジェンダーアイデンティティなどが尊重されるべきだとされるのは、新自由主義的な潮流ではなくて、人権意識の高まりの中で、マイノリティのアイデンティティを尊重することの重要性と、アイデンティティを毀損することの加害性がより明確になってきたからだと思う。だからこそ、ネオリベラリズムと明確に対決している「99%のフェミニズム宣言」などでも、マイノリティ女性を含む女性の連帯をもって資本主義社会やネオリベラリズムと対決することを訴えている*2

月刊WiLLを「事実しか書かれてない」と感じるような人の方が、よっぽどネオリベラリズムと接近しているのではないかと思う。

話が逸れた。

この分科会Eには、「持続するフェミニズムのために」の著者である江原さん本人も発表するらしい。牟田さんや千田さんがいる分科会で、江原さんがどのような発表をするのか、自分は気になって仕方がない。

*1:「持続するフェミニズムのために」は、第2波フェミニズムネオリベラリズムを推し進める一助になってしまっているのではないか、という批判に応える形で、グローバリゼーションとそれに関わるネオリベラリズムに相対してフェミニズムがどういう価値を持つか、がテーマの一部分になっている。

*2:と偉そうに書いてはみたものの、該当書籍を通読したわけではないので、誤解であったならば申し訳ない

日本におけるリバーシの受容と変化。文献記録で見つかるものを中心に。

日本におけるリバーシの受容の様子を、具体的に資料が残っている範囲で確認したい。
一通り眺めることで、リバーシがどう日本で普及し、オセロにつながっていくかが見えてくるはずだ。
個人的には、「オセロの源流に任天堂の影響あり」の可能性にワクワクしている。こんなところで名前を見るとは!という感動があった。実際にそうであったかどうかは、もう証明する術はないのだが……。

裏返へし(レヴアルシー)Reversi

  • 世界遊戯法大全(松浦政泰 編)
  • 出版日:明治40年(1907年)12月

国立国会図書館オンライン | National Diet Library Online

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裏返へしの説明図。上や下などは好手・悪手の説明として記載。

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860315/111
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860315/112
明治40年に出版された「あそび」の本より。海外の遊びとして紹介されている。これが日本におけるリバーシの最初期の記録だろう。
現行のオセロとほぼ同一のルール。欧米の遊戯界の流行物の一とある。駒は円い厚紙(色は赤と黒)。盤は8×8で、クロス配置のスタート。パスについても明記。


実用新案:大正碁

メンテナンス情報 (Maintenance information) | J-PlatPat/AIPN

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大正碁の一手目、二手目の打てる個所の例示。次図では裏返された表記に変わっている。
源平碁という名前ではなく「大正碁」という名前で、同じ内容のゲームが実用新案登録されている。商品としての大正碁は未発見と思われる。
ルールの細部は詳らかではないがオープニングがパラレルであるタイプのリバーシに見える。駒/石は平らな円盤状(色の指定なし)、盤は8×8。説明中で色の指定はされていないが、図によれば、白先であるようだ。


実用新案:競技盤

  • 出願:昭和8年(1933年)2月22日
  • 出願人:松本彌助
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それぞれの角を3マスずつ落とした盤。盤の形状の変更がキモの実用新案。

メンテナンス情報 (Maintenance information) | J-PlatPat/AIPN
「従来の四隅に各一個の角を有する盤に比し本盤は三倍の角を有することにより競技を多変化、多興味ならしむる新改良の考案なり」とある。
既存のリバーシ(源平碁)や挟み将棋などの互いに挟み合うゲームを前提として、盤の改変をすることでゲーム性を上げていこう、という実用新案であったようだ。
(角が3倍あると主張しているが、角と呼んでいる3箇所のうちの真ん中は、機能上「辺」に相当するので、角は2倍あると考えるのが自然)
この実用新案を商品化したものが、初期のニップゲームである。初期ニップゲームがリバーシの直系子孫であることの証明。


レヴァルシー・ゲーム(源平碁)

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娯楽大百科より。転載部分は読みやすいよう組み替えてある。
  • 娯楽大百科(矢野目源一 編)
  • 出版日:昭和29年(1954年)

国立国会図書館オンライン | National Diet Library Online
第二部 外国ゲームで言及されている。ゲーム内容の説明は、世界遊戯法大全を継承しているのではないかと思われる。隅は上上などの図付きの説明に共通点がある。駒は碁石くらいの厚紙(赤と白)、盤は8×8。
リバーシが源平碁の名で普及しつつあることがゲーム名称から読み取れる。


実用新案:遊戯具

  • 実用新案登録願:昭和28年(1953年)4月24日
  • 出願人:蜂須賀千博・中村九蔵
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ニップと同様のルールの遊戯具実用新案

メンテナンス情報 (Maintenance information) | J-PlatPat/AIPN
ルール・ボードともに現代のニップのルーツと思われる内容。出願人がどういう人物がわからないため、これが1975年に発売されたニップとどのような関係を持つのかは不明。駒は円盤状(色の指定なし)。
現在商品化されているニップはデザインからオセロの影響を強く匂わせるものだけれども、ルールそのものはオセロ以前から存在してはいたらしいということがわかる。


実用新案:遊戯具

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盤の構成はニップに似ている。ルールは全く似ていない。
  • 実用新案登録願:昭和28年(1953年)6月24日
  • 出願人:花山直康

メンテナンス情報 (Maintenance information) | J-PlatPat/AIPN
花山直康氏は花山ゲーム研究所(現ハナヤマ)創業者。前出の出願の2ヶ月後の申請。ハナヤマはのちに現代ニップを商品化したので、一見これが現代ニップのルーツのようにも思われるが、遊ぶルールが違う。チェッカーとリバーシを足したようなルールに見える。駒も円盤状ではない(色は赤と白)。


実用新案:源平碁

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道具の改良として、図1が碁石風の源平碁の石、図2が改良版。
  • 出願人:長谷川敏
  • 実用新案登録願 1971年1月20日

メンテナンス情報 (Maintenance information) | J-PlatPat/AIPN
オセロの作者は「長谷川五郎」という名前で知られているけれども、これは筆名で、本名は「敏」というらしい。後述のオセロの商標でもこちらの名前で登録されている。
長谷川氏は源平碁について絶賛している。以下に引用する。

 源平碁が我が国に於て行われてから、すでに半世紀になるであろう。併し、その普及度に於て、囲碁、将棋は勿論、チェス、チェッカーにも遠く及ばない。そもそも、源平碁はその複雑性と高級性とに於て、上記4ゲームに対して少しも遜色のないものである。第一、之程憶え易いゲームは他にないし、囲碁のようにコミ出しの不合理性、将棋の千日手、チェス、チェッカーのコマ不足の引き分け等のゲームそのものの難点が、源平碁には存在しない。1ゲームが20分位だという事も、忙しい現代人の好みにもピッタリである。
 では、何故、之程素晴らしい源平碁が普及しなかったのであろうか。答えは簡単である。市販の石、盤、計算表、此の3つが最低のものだったからである。此の3要素を改良して、600人に半年かけてあたってみた。医者、弁護士、BG、小学生、大学生、主婦、等、全員が非常に興味を示した。或るマージャンの大家の医師は、「こんな面白いゲームが何故売ってないんだろう。」と驚嘆した。

「試しにやらせてみたら皆が絶賛した」系の話は、オセロ発明エピソードでもしばしば出てくる。
この実用新案では、市販の従来品は碁石のような形状で使いにくいため、新案として平らな円盤とすることを提案している(実際には市販商品の中には平らな円盤状の駒も存在していたが、長谷川氏は知らなかったらしい)。また盤は柔らかであるべきだと主張している。
道具の改良のほかでは「計算表」の存在が新規性を主張している。初期のオセロ にもこの計算表があった*1が、現在のオセロ競技ではほとんど顧みられない。
そのほかのルールについては、新しい提案はない。
個人的には、この実用新案の発見は、オセロ独自発明説にトドメを刺すものだったと思う。これを見つけるまでは、長谷川氏は「うろ覚えのゲームをもとに独自に改良したが、結果として元のゲームと同一のゲームになってしまった」という可能性があると思っていた(後述の現代12月号の記事を読んだ後も、その可能性はあると思っていた)。しかし、この実用新案は、長谷川氏が源平碁に詳しかったことを示している。

石の形状などの既存の商品の説明から、長谷川氏が知っている具体的な商品も推測できるのではないか。特徴からすると、日本ゲーム製造株式会社製のものが近い。クロス固定配置で、コロコロとした小さい碁石のような形状の石である。日本ゲーム製造株式会社は、任天堂の商号の一つなので、これがもし事実ならば、オセロ誕生の影に任天堂があったことになる。
ameblo.jp


1972年10月 長谷川氏、ツクダにオセロの商品企画を持込

オリジナルのソースに当たっていないウィキペディアからの又聞きだが、「和久井によると、持ち込まれたときのオセロには特許が取得されておらず、業界でもキャラクター以外にロイヤリティを払う意識がほとんどない時代だったが、佃は「おもちゃはアイデアだから」とロイヤリティを払うことを認めたという」(「和久井威氏ロングインタビュー 第2回」『月刊トイジャーナル』2007年6月号、東京玩具人形協同組合、p.72)。
ゲームそのもののアイデアは源平碁に100パーセント依存しているのだが、ここで言っている「アイデア」とはいったいなんなのだろうか。

商標:オセロ

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上記の長谷川氏が五郎氏であることの証明でもある。
  • 出願人:長谷川敏
  • 商標登録願 1972年11月22日
  • 登録査定 1976年6月25日

メンテナンス情報 (Maintenance information) | J-PlatPat/AIPN

現在の権利者は「株式会社オセロ」だが、昭和51年の商標公告では長谷川敏名で掲載されている。登録の申請は、ツクダオリジナルに持ち込んだ翌月だった。

なおその後、1973年1月に日本オセロ連盟設立。1973年4月7日に第1回全日本オセロ選手権大会が開かれている。
団体設立や大会の開催は、オセロ商品発売に先立って行われている。この辺のスピード感、成功の確信があったのだろうか?

オセロの商品発売日

  • 1973年4月25日(長谷川氏による見解)
  • 1973年4月29日(メガハウスによる見解)

時期が食い違ってしまった理由は不明。


雑誌記事「大流行の「オセロ」ゲームづくり一代」

  • 現代 十二月号
  • 1973年12月1日発行
  • 記事タイトル:大流行の「オセロ」ゲームづくり一代
  • 著者:長谷川五郎

発売から半年ちょっとで大流行との記事。当時の流行の程が窺える。
記事中で、「源平碁を原型にしよう」と明言している。
「何か原型になるものはないか?そのとき私は、兄が三十年以上も前の小学生時代に源平碁をやっていたことを思い出した。おはじきより小さい丸い赤と白の石を使い、ます目の中に交互に石をおきながら陣取りをするゲームである。現代は滅びてしまったが、これを土台に改良すればいけると直感した。」
先の実用新案申請を見ればわかる通り、「オセロ」は源平碁を改良したゲームではなく、源平碁の道具の改良にすぎない。
6×6、8×8、10×10の広さの盤面を検討し、6路は簡単すぎ、10路は複雑すぎたと言っている。8×9などの正方形でない形の盤については言及がない。
また、後年でてくる挟み碁などへの言及もない。


ニップの商品発売

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単品の商品である、逆転ゲーム・ニップ。

1975年発売。
緑の盤面と白黒の駒、そして計算表がついているのは、大ヒットしたオセロの影響と思われる。


雑誌記事・源平碁の存在の指摘

こちらは現物未確認のため詳細は言及できない。
「オセロゲームは最近発明されたと思いこんでいる人が多いが、日本に古くからあった「源平碁」、十九世紀からある「リバーシー」というゲームと同じもので、明治四十年に刊行された『世界遊戯法大全』に「裏返し」と原題の直訳で紹介され ...」
という記事があるらしい。早い段階で、オセロの独自性に疑問を持った人がいたことを物語っている。

私とインターネット

これらの情報の多くは、インターネット上で調べたものがほとんどだ。
かつてならインターネット上では見つからなかったものも、たとえば書籍や公文書の電子化によって、脚を使わなくてもネットで調べ、ネットで見つけることが可能になった。そのぶん、いい加減な情報にぶつかる場合も多いから、どの情報が確からしいか精査する能力はより多く求められるようになっているけれども……。
それにしても、ほぼネットに公開されている情報で、オセロの出自をほぼ明らかにできる日が来るとは思わなかった。これも、いろんなことを調べる多くの物好きたちのおかげだと思う。自分も物好きの一人として、嬉しく思う。
私から見えるインターネットの風景というのは、物好きたちがよってたかる場所なのである。
……このくらい書いたら、はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」への応募資格を満たせるかなあ。


おまけ

手持ちのニップの画像たち。
ウィキペディアで精力的にオセロの記事を更新している方から「ニップの写真を用意できないか」とツイッターで相談されて、いくつか撮ったのだけれども、渡そうと思ったときにはそのツイッターのアカウントがもう消えていた。やり先もないのでここにアップロードして供養とする。

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紙製ニップ。
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ハナヤマゲームカルテットに収録されているニップ。
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ハナヤマゲームカルテットに収録されているリバーシ/源平碁。

ニップ発売の項の逆転ゲーム・ニップの写真と、このおまけの画像については、自分は権利を主張しません。

ニップゲームについて新しくわかったこと

ニップというゲームについて、以前紹介した。
kamibglo.hatenablog.com

今回の記事は、ほぼ1年ぶりのその記事の続きである。ここまでのところで見つけた、ニップについての新しい情報を記載する。

古いタイプのニップゲームについてわかってきた。

ニップゲームの実物

下記のブログでは、小樽和光荘(現在は非公開の歴史的建築物)の中に、ニップゲームが展示してあった写真が掲載されている。
dosanko-camera.hatenablog.com
古いタイプのニップゲームだが、見たところそれなりに高級感もあり、単なるおもちゃというよりは、大人でも楽しめる知的ゲームとして扱われていたのではないかと思われる。
小樽和光荘が現在公開されていないのは実に残念だ。現物を生で見たかった。

おそらくこれと同じ商品が、他のブログでも紹介されていた。こちらは盤を正面から撮った写真があり、文字などがきちんと確認できる。
kuupoko.exblog.jp
記事中に実用新案の番号が記載されている。187845。これは、Wikipediaの過去の記事に記載されていた内容「1933年実用新案登録187845号、考案者は松本彌助」と一致する。ゲームのルール自体は既存のリバーシ/源平碁と共通なので、ここでの「実用新案」は盤面のレイアウトを若干変更した部分が新規性として扱われたのではないか。

1960年代に祖父母と遊んだと記述があるので、この商品はオセロよりも古いものだとわかる。
興味深いのは、盤面の色が緑色であること。ゲームボードの色が緑色であることは、オセロにとっては特筆すべき独自性として扱われていたけれども、実はニップゲームの方が先に緑色の盤面を使用していたという意外な事実が判明した。

通販カタログに見えるニップゲーム

下記のブログの2006年3月7日の記事に、昭和14年(1939年)の三越の通販カタログについての簡単な記述がある。
blog.goo.ne.jp

ゲームをいろいろ売ってます。「ニップゲーム」とか「カロム」とか
読んでもわかりません。すでになくなったゲームでしょうね。

小さい写真が掲載されているのだが、その右下に注目すると、確かに古いタイプのニップゲームらしき盤面が写っている。

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ニップらしきゲームの盤面
かすかに盤面の角に文字か何かが書かれていることが見える。もしかすると、同一の商品かもしれない。

どの記事も、メーカーについての記事がないのが残念である。

発売時期の推測

ボードゲームウォーカーの国内ゲーム販売史によると、昭和12年(1937年)に倉持商店から「ニップゲーム」が発売されている。もしかするとこの商品がそれなのかもしれない。実用新案登録時から4年ほど間隔があるから、これより以前にも「ニップゲーム」の発売があったかもしれない。
www.asahi-net.or.jp

携帯版「皇軍萬歳 ニップゲーム」

古書店にて、携帯用の簡易ニップゲームのパッケージを手に入れた。
未使用のようだが、古いものなのでぼろぼろで、パーツの欠品も見られる。

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紙箱パッケージ。
本来は箱状であったと思われるパッケージだが、現在は劣化して前面と後面がバラバラになっている。
パッケージのデザインを見た感じ、上記の既出のゲーム盤と同じメーカーによるもののように思われるが、こちらもメーカー名の記述はない。TとSを組み合わせたようなロゴがあるが、これは倉持商店のロゴではない*1。何かの表示か?今のところ不明である。
実用新案の表記だけでなく、満州国での意匠登録も記されているのが興味深い。時代だなあ。

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盤面用紙
盤面は厚紙でできており、折りたたまれていた。ニップゲームの表記および実用新案の表記は、既出のゲーム盤と同様だが、盤面の色は源平碁と同様の黄色が選ばれている。初期配置の表示あり。色がずれているのは、たぶんデザインでそうしているのだろうか?赤と白の相対的な位置関係は概ね合っているので、デザインでわざとそうしているようにも見えるが、大胆な版ずれの可能性もある。

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説明書
盤面裏は説明書になっている。ルールは盤面の形を除いて現行のオセロと似ている。
「両者とも打つ場所がない場合」に任意の場所に打って良いというのがユニークかもしれない。相手にパスをさせて、さらに自分も打つ場所がないときに、どちらに着手権があるのかがこの説明では不明だ。
勝敗の説明に関しての箇所では、ハンディキャップをつけるとか、持牌が切れたら終わりなど、細かい説明がない箇所が散見される。中途半端に追加の記述をしたためにかえってルールが曖昧になってしまっている。
興味深いのは「石」でも「駒」でもなく、「牌」であるところ。骨牌からの類推で名前をつけたのだろうか。

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厚紙の両面に、白と赤の薄紙を張り合わせて、型で丸く切りぬいて「牌」は出来ている。未使用らしく、抜いてない牌がほとんどだが、薄紙の剥がれや牌の脱落などがある。

一旦のまとめ

戦前に販売が始まった古いタイプのニップゲームは、オクトリバーシ/エイトスターズオセロ(88オセロ)につながる系譜の8角形盤面のものであることが現物で確認できた。方形ではない盤面という意味では、Annexationへの先祖返りという風にも捉えることができる。
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一方で、現在普及している円形盤面のニップについては、新しい情報は得られていない。
「デラックス逆転ゲームニップ」の発売が1975年なのだが、これ以前に円形の盤面のニップがあったかどうかも不明だ。想像なのだが、古くからリバーシ/源平碁を販売していたはなやま玩具株式会社が、1973年発売のオセロのヒットに対抗して、オセロ以上のゲーム性を生み出そうと開発したのが、円形盤面のニップなのではないだろうか。かつてのウィキペディアの記事にあった、ハナヤマが「逆転スリルのあるもの」というコンセプトで開発したという記述のソースになる情報がわかるといいのだが……。
この新しいニップが、古いニップの影響下にあるのか、それともたまたま同じ名前なのか、わからないことはまだたくさん残っている。

*1:倉持商店は菱形の中にC.Kと書かれたものをトレードマークにしていた

リバーシとオセロについて調べたことと思うこと

オセロとリバーシというよく似たゲームがある。
とてもよく似ているので、多くの人が疑問に思うらしい。検索をすると「違いは何か」という記事が幾つか出てくる。例えば下記のような。
nlab.itmedia.co.jp
この記事の中で紹介されている中島哲也オセロ八段は、リバーシにははっきりしたルールが定められていなかったというようなことを言っているけれども、これはかなり難癖の類だと思う。

このあたりの影響を受けてか、ウィキペディアの現時点のオセロの記事でも、リバーシのルールについて

ゲーム内容については、基本的にオセロと同様であるが、初期のリバーシでは、

  • 盤面の大きさが定まっていない。
  • 初期配置が定まっていない。
  • 打てる箇所がない場合の扱い(パスになるのか即座に負けになるのか)が定まっていない。

などルールに曖昧な点があったとされている。
オセロ (ボードゲーム) - Wikipedia

と書いてある。
極めて疑問である。

リバーシは「ルールの曖昧なゲーム」ではない。

リバーシは元々の発売元が現在存在しないため、元締めとなる組織がなく、そのためローカルルールなどが自由に広まっているだけで、ルールは明確に存在していた。中島哲也氏は今はなき「日本リバーシ協会」の理事長であった*1。もし日本リバーシ協会が健在であれば、日本でのリバーシの「公式ルール」を定着させることも可能だったわけで、「ルールが曖昧だ」などという話など出てこなかったはずなのだが……。

さて、その明確に定まっているリバーシのルールのひとつとして、日本リバーシ協会のルールが簡明なので、ここに紹介しておく。すでに存在しない協会なので、インターネットアーカイブのキャッシュだが。
JRF - リバーシのルール
画像が見えなくなっているけれど、名称でわかると思う。

盤面のサイズについては、こちら(https://web.archive.org/web/20010406215743/http://www.reversi.net/reversi/)に記載がある。
基本的なサイズが8×8であることが明記されている。そしてバリエーションとしてパーフェクトリバーシとオクトリバーシを推奨している。これらは、オセロでも公式に発売された「グランドオセロ」とか「88オセロ/エイトスターズオセロ」と同様のものだ。
リバーシの盤面サイズが曖昧だ、ということになるならば、オセロも曖昧であることになってしまう。そうではない。曖昧なのではなく、バリエーションがあるだけだ。

初期配置が決まっていないのも、ルールが曖昧なのではない。
類例をあげると、過去の囲碁の「互先事前置碁法」を想起してほしい。かつて囲碁は星の位置に白石・黒石をあらかじめ置くというルールだったが、そのルールに比較して現行の囲碁は、「初期置石の配置が決まっていない曖昧なルール」というだろうか。
打てる場所がない場合についても、後述した資料にもある通り、普通にパスになる。曖昧な点はない。

そもそも伝統ゲームではルールのゆらぎというのは珍しくない。オセロだって家庭や児童会などで行われている場合はきちんとしたルールではなく、それぞれのローカルルールが場を仕切っていることは珍しくない。基本的なルールさえ定まっていれば、細かいルールは遊ぶにあたっては問題ではないからだ。
また、基本的なルールを拡張したり、改変した別バリエーションを作るのは、「ゲームのルールが曖昧」というようなネガティブなものではなく、むしろゲームの幅を広げるゲームの豊かさを示すものだ。
先日紹介したニップも、リバーシから生まれた豊かな果実の一つだ。
ニップの起源が知りたい - 紙ブグロはてな

現代のオセロとリバーシの本質的な違いは、初期配置の扱いだけだ。

先ほど紹介した日本リバーシ協会のルールは、リバーシの現代のルールとして極めて一般的なものと思われる。オセロとのルールの大きな違いは、初期配置がクロスに固定なのか、そうでないのかという違いしかない。

少し遡って、オセロ登場直前のリバーシのルールを確認してみよう。
1969年刊 Board and Table Games From Many Civilizations (Board and Table Games From Many Civilizations. Vol. I. 2nd ed : Bell, R. C. : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive )から引用する。

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draughts-boardは、いわゆるチェスやチェッカーなどで使用される8×8のボードだ。
白と黒のプレイヤーが最初に中央の4マスに石を置き、それ以降は互いを挟んでひっくり返すというルールは、先ほど紹介したリバーシ協会の「オリジナル式」と同一のルールとみてよいだろう。

日本での事例では、もっとぐっとさかのぼって、1907年刊の世界遊戯法大全 (世界遊戯法大全 - 国立国会図書館デジタルコレクション)を見てみよう。

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こちらだと黒と赤のプレイヤーが互いに意思をはさみ合うルールとなっている。こちらでは初期配置がクロス固定になっているのが興味深い。打てる場所がない場合についても「何處にも敵の駒を挟むやうな處が無ければ、自分は休んで敵に続けさせる」とパスについての記述がある。

この伝わったリバーシが日本では「源平碁」という形で流行した*2
流行した、と断言するのは、「源平碁」は様々なパッケージでいろいろな会社から発売されたことが確認できるからである。

なお、過去に日本で流行った「源平碁」の商品には、「パラレル固定」のルールになっているものと「クロス固定」のルールになっているもの、「自由配置」のものの全てがある。下記ブログにてルールが見られるので参照されたい。
s.webry.info
ameblo.jp
blogs.yahoo.co.jp

初期配置が固定されているのが多いのは、日本に輸入される過程で、紹介の簡便さを求めた結果ではないかと思われる。
このように様々なバリエーションの商品が発生したのもの「ルールが曖昧である」という誤解を招いた原因であろう。おそらく公的なライセンスを受けたわけでもない商品であったから、「公式の厳密なルール」が届くわけでもなかった。とはいえ商品それぞれについてはルールが確定しているものとして完結しているわけで、大きな問題はない。

当初のリバーシのルールと現行との大きな違い。

さて、先ほど日本リバーシ協会のルールとオセロのルールでは、本質的には初期配置の扱いしか違いがないと書いた。
しかし、文献を遡ると、現代では忘れられてしまった大きな違いが実はある。

1890年刊 Reversi and go bang
archive.org
リバーシ五目並べについて書いた本である。詳細なルールが記載されている。

ポイントは、黒と白は互いに32個ずつ石を持つ、と記述されている部分である(現行のリバーシでは、石は互いの共有とされるのが普通である)。これが何を引き起こすか。

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https://archive.org/details/reversigobang00berk/page/n11

最後に石が足りなくなった時、足りなくなった側は強制的にパスとなり、足りている方が連続して打つことができるのである。これはゲーム性に大きく関わる違いだ。

1894年刊 The Book of Table Games
books.google.co.jp
こちらの書籍でも、「Each player being provided with thirty-two men」とあるので、それぞれが32個石を持つというルールに違いはなさそうである。

このルールが記述されなくなっていくのは、おそらく「相手にパスを強いる」という本来自らを有利に導くテクニックが、終盤に相手の逆転を許す隙に成ってしまうという矛盾が好まれなかったからではないかと思う。
というわけで、19世紀の頃のリバーシのルールと現行の日本リバーシ協会のルールの間には、持ち石が固定かどうかという大きな違いがあることが分かった。

なお、オセロでは石が共有であることは案外知られていなくて、下記のような質問が発生したりしている。
オセロのルール。相手にパスが続いたので、自分が続けて打つ場面が続き... - Yahoo!知恵袋

リバーシの元になったアネクゼイションというゲームについて

先ほど紹介した「世界遊戯法大全」に、「當時は『附け足し』(Annexation)というふ名で盤面も十字形であつた」という記述がある。
調べてみると、当時の流れを記述したページが幾つか見付かる。
tametheboardgame.com

どうも、ウォーターマン(Lewis Waterman)がReversiという名前で8×8のボードのゲームを発売してヒットしたのだが、そのゲームのキモの部分がモレット(John W. Mollett)が作ったAnnexationというゲームと同一なので、パクリではないかと裁判になったらしい。なおAnnexationのボードは割と特殊な形をしている。
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最終的に「石で挟んでひっくり返す」という重要な部分が同じであるということでモレットは裁判に勝って、おなじReversiという名前を使って、同様の商品を発売するようになったようだ。

下記のページに、ウォーターマンとの裁判に勝って「Reversi」の名前を使用できるようになったモレットの「ANNEXATION」のパッケージ写真とボードが確認できる。「Reversi」の名称を使用しているので、8×8のボードである。ルールの記載されている説明書も見られて有用だ。石は「白と赤」だがルールブックにはBlackとRedとある。
www.gamesboard.org.uk

この裁判についてはGoogle Booksに訴訟の記録らしきものが幾つかあるのだけれど、英語力の都合で詳しく調べていない。識者に補足を願いたい。

おそらく、ANNEXATION or Riversiの権利が生きていたら、オセロは普通に訴えられて、そちらの版元から「ANNEXATION or Othello」という商品が発売されていたことだろう。ありがたいことに、オセロの発売時期には、ANNEXATIONやRiversiの諸権利は消尽していた。

オセロを発明した長谷川五郎氏は、リバーシをどのくらい知っていたのだろうか。

下記のはせら氏のブログに、過去の長谷川五郎氏の発言が転載されている。
othlog.hasera.net
「赤と白の源平碁,リバーシ,ニップなどの名がありました。」と、過去のゲームについての記述がある。
はせら氏はリバーシに言及した上で、『オセロは自分が考案した』と主張していたのであり、だからこそ、彼が自力でオセロを考案したという主張は信用に値する」と言っている。

「実業の日本」の77巻5号に、オセロについての記事がある。「新ゲーム・オセロの売れっぷり/p23」。これはインターネットでは公開されておらず実業の日本. 77(5)(1811) - 国立国会図書館デジタルコレクション国会図書館に直接行くと閲覧できるようだ。
Google Booksで少し確認できる。文字化けしているが、オセロについて「昔あった『源平碁』というゲームを原型にして、二年がかりで完成し、試しにやらせたところ、たちまち社内に流行し、さらには係長氏のお得意先の病院などにも広まるようになって、これはイケるとなったもの。」……と読める。
books.google.co.jp

このブログに載っている雑誌「太陽」にも、「オセロゲームは、源平碁をもとにした世界的大ヒット発明だ。」と書いてある。
ameblo.jp

このころの長谷川氏は、普通にオセロの原型について公言していたことがわかる。

のちの書籍になるにつれ、長谷川氏はリバーシや源平碁・ニップの存在に触れなくなる。現在のオセロ公式サイトでのオセロ誕生の記述は下記の通り。
www.megahouse.co.jp
「当時の長谷川少年が、碁石を使って生み出した遊びが、オセロの原型です。オセロの石が黒白なのは、碁石がもとになっているからです。」碁石については言及しているのに、かつて原型だとされていた「源平碁」には全く触れず。

ボードゲーム・オセロが生まれる遥か以前、明治時代に、リバーシという、石をはさんでひっくりかえすイギリスのゲームが日本に伝わったことはありましたが、現在、みなさんが認識しているオセロというゲームのルールや姿かたちをつくりだしたのは長谷川氏で、それが、日本、そして世界中に「オセロ(Othello)としてひろまっています。緑色の盤や、盤の中央のマスに黒白交互に並べてスタートするといったルールは、すべてオセロがつくったものです。

リバーシの歴史とルールを知っている人ならば、この説明が噴飯物であることがわかるはず。ギリギリ嘘にならないように「緑色の盤や、盤の中央のマスに黒白交互に並べてスタートするといったルールは」と限定しているけれど、特に後半の「盤の中央のマスに黒白交互に並べてスタートする」は、オリジナルのリバーシでも固定でないだけで同じだし、何より「盤の色」と「初期配置」の二つだけ例にあげて「すべてオセロがつくったものです」と称するのは意図的に誤読を狙った悪質な記述と感じられる。

長谷川氏が整えた使いやすいゲーム用具の価値はとても高いし、それを普及し世界に広めた功績はとても大きなものだろう。オセロでの若干改善されたルールはリバーシのモダンバージョンとして積極的に世界で受け入れられている。しかし、先行事例への敬意を見せない姿勢は評価できない。



なお、はせら氏のブログでは下記の記事もとても参考になる。
othlog.hasera.net
othlog.hasera.net

その他、ググって見つけたリンク

1957年の「娯楽大百科」という書籍に源平碁/リバーシの説明があるとのこと。源平碁の「石」は厚紙などを丸く切って使えと、自作が前提なところが面白い。
grnrokko.seesaa.net

まとめ

ニップの記事でも書いたけれど、「遊び」の歴史は、あまり記述されないまま「かつては当たり前のようにみんな知っていたけれど、今は誰も知らない」となりがちだ。
インターネットが生まれて以降の歴史ですら、「日本リバーシ協会」の誕生と消滅についてなど、「関係者のみぞ知る」状態になっている。いまさら当時の話なぞ明らかにしたくない、という人も多いのかもしれない。
ともあれ、自分は現状のリバーシの語られ方は、歴史的事実を踏まえないものが少なくないと思うし、きちんと再評価されるべきだと思うので、わかる範囲でまとめて共有たいと思ったのだ。

*1:インターネットアーカイブJapan Reversi Federation

*2:と同時に、おそらく初期の「ニップ」も書籍にその記述が残るレベルでそれなりに流行した。