紙ブグロはてな

新しいものについ飛びついてしまった後悔を綴ることになりそうな気がするけれどならないかもしれないブログ。

日本におけるリバーシの受容と変化。文献記録で見つかるものを中心に。

日本におけるリバーシの受容の様子を、具体的に資料が残っている範囲で確認したい。
一通り眺めることで、リバーシがどう日本で普及し、オセロにつながっていくかが見えてくるはずだ。
個人的には、「オセロの源流に任天堂の影響あり」の可能性にワクワクしている。こんなところで名前を見るとは!という感動があった。実際にそうであったかどうかは、もう証明する術はないのだが……。

裏返へし(レヴアルシー)Reversi

  • 世界遊戯法大全(松浦政泰 編)
  • 出版日:明治40年(1907年)12月

国立国会図書館オンライン | National Diet Library Online

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裏返へしの説明図。上や下などは好手・悪手の説明として記載。

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860315/111
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860315/112
明治40年に出版された「あそび」の本より。海外の遊びとして紹介されている。これが日本におけるリバーシの最初期の記録だろう。
現行のオセロとほぼ同一のルール。欧米の遊戯界の流行物の一とある。駒は円い厚紙(色は赤と黒)。盤は8×8で、クロス配置のスタート。パスについても明記。


実用新案:大正碁

メンテナンス情報 (Maintenance information) | J-PlatPat/AIPN

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大正碁の一手目、二手目の打てる個所の例示。次図では裏返された表記に変わっている。
源平碁という名前ではなく「大正碁」という名前で、同じ内容のゲームが実用新案登録されている。商品としての大正碁は未発見と思われる。
ルールの細部は詳らかではないがオープニングがパラレルであるタイプのリバーシに見える。駒/石は平らな円盤状(色の指定なし)、盤は8×8。説明中で色の指定はされていないが、図によれば、白先であるようだ。


実用新案:競技盤

  • 出願:昭和8年(1933年)2月22日
  • 出願人:松本彌助
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それぞれの角を3マスずつ落とした盤。盤の形状の変更がキモの実用新案。

メンテナンス情報 (Maintenance information) | J-PlatPat/AIPN
「従来の四隅に各一個の角を有する盤に比し本盤は三倍の角を有することにより競技を多変化、多興味ならしむる新改良の考案なり」とある。
既存のリバーシ(源平碁)や挟み将棋などの互いに挟み合うゲームを前提として、盤の改変をすることでゲーム性を上げていこう、という実用新案であったようだ。
(角が3倍あると主張しているが、角と呼んでいる3箇所のうちの真ん中は、機能上「辺」に相当するので、角は2倍あると考えるのが自然)
この実用新案を商品化したものが、初期のニップゲームである。初期ニップゲームがリバーシの直系子孫であることの証明。


レヴァルシー・ゲーム(源平碁)

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娯楽大百科より。転載部分は読みやすいよう組み替えてある。
  • 娯楽大百科(矢野目源一 編)
  • 出版日:昭和29年(1954年)

国立国会図書館オンライン | National Diet Library Online
第二部 外国ゲームで言及されている。ゲーム内容の説明は、世界遊戯法大全を継承しているのではないかと思われる。隅は上上などの図付きの説明に共通点がある。駒は碁石くらいの厚紙(赤と白)、盤は8×8。
リバーシが源平碁の名で普及しつつあることがゲーム名称から読み取れる。


実用新案:遊戯具

  • 実用新案登録願:昭和28年(1953年)4月24日
  • 出願人:蜂須賀千博・中村九蔵
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ニップと同様のルールの遊戯具実用新案

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ルール・ボードともに現代のニップのルーツと思われる内容。出願人がどういう人物がわからないため、これが1975年に発売されたニップとどのような関係を持つのかは不明。駒は円盤状(色の指定なし)。
現在商品化されているニップはデザインからオセロの影響を強く匂わせるものだけれども、ルールそのものはオセロ以前から存在してはいたらしいということがわかる。


実用新案:遊戯具

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盤の構成はニップに似ている。ルールは全く似ていない。
  • 実用新案登録願:昭和28年(1953年)6月24日
  • 出願人:花山直康

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花山直康氏は花山ゲーム研究所(現ハナヤマ)創業者。前出の出願の2ヶ月後の申請。ハナヤマはのちに現代ニップを商品化したので、一見これが現代ニップのルーツのようにも思われるが、遊ぶルールが違う。チェッカーとリバーシを足したようなルールに見える。駒も円盤状ではない(色は赤と白)。


実用新案:源平碁

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道具の改良として、図1が碁石風の源平碁の石、図2が改良版。
  • 出願人:長谷川敏
  • 実用新案登録願 1971年1月20日

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オセロの作者は「長谷川五郎」という名前で知られているけれども、これは筆名で、本名は「敏」というらしい。後述のオセロの商標でもこちらの名前で登録されている。
長谷川氏は源平碁について絶賛している。以下に引用する。

 源平碁が我が国に於て行われてから、すでに半世紀になるであろう。併し、その普及度に於て、囲碁、将棋は勿論、チェス、チェッカーにも遠く及ばない。そもそも、源平碁はその複雑性と高級性とに於て、上記4ゲームに対して少しも遜色のないものである。第一、之程憶え易いゲームは他にないし、囲碁のようにコミ出しの不合理性、将棋の千日手、チェス、チェッカーのコマ不足の引き分け等のゲームそのものの難点が、源平碁には存在しない。1ゲームが20分位だという事も、忙しい現代人の好みにもピッタリである。
 では、何故、之程素晴らしい源平碁が普及しなかったのであろうか。答えは簡単である。市販の石、盤、計算表、此の3つが最低のものだったからである。此の3要素を改良して、600人に半年かけてあたってみた。医者、弁護士、BG、小学生、大学生、主婦、等、全員が非常に興味を示した。或るマージャンの大家の医師は、「こんな面白いゲームが何故売ってないんだろう。」と驚嘆した。

「試しにやらせてみたら皆が絶賛した」系の話は、オセロ発明エピソードでもしばしば出てくる。
この実用新案では、市販の従来品は碁石のような形状で使いにくいため、新案として平らな円盤とすることを提案している(実際には市販商品の中には平らな円盤状の駒も存在していたが、長谷川氏は知らなかったらしい)。また盤は柔らかであるべきだと主張している。
道具の改良のほかでは「計算表」の存在が新規性を主張している。初期のオセロ にもこの計算表があった*1が、現在のオセロ競技ではほとんど顧みられない。
そのほかのルールについては、新しい提案はない。
個人的には、この実用新案の発見は、オセロ独自発明説にトドメを刺すものだったと思う。これを見つけるまでは、長谷川氏は「うろ覚えのゲームをもとに独自に改良したが、結果として元のゲームと同一のゲームになってしまった」という可能性があると思っていた(後述の現代12月号の記事を読んだ後も、その可能性はあると思っていた)。しかし、この実用新案は、長谷川氏が源平碁に詳しかったことを示している。

石の形状などの既存の商品の説明から、長谷川氏が知っている具体的な商品も推測できるのではないか。特徴からすると、日本ゲーム製造株式会社製のものが近い。クロス固定配置で、コロコロとした小さい碁石のような形状の石である。日本ゲーム製造株式会社は、任天堂の商号の一つなので、これがもし事実ならば、オセロ誕生の影に任天堂があったことになる。
ameblo.jp


1972年10月 長谷川氏、ツクダにオセロの商品企画を持込

オリジナルのソースに当たっていないウィキペディアからの又聞きだが、「和久井によると、持ち込まれたときのオセロには特許が取得されておらず、業界でもキャラクター以外にロイヤリティを払う意識がほとんどない時代だったが、佃は「おもちゃはアイデアだから」とロイヤリティを払うことを認めたという」(「和久井威氏ロングインタビュー 第2回」『月刊トイジャーナル』2007年6月号、東京玩具人形協同組合、p.72)。
ゲームそのもののアイデアは源平碁に100パーセント依存しているのだが、ここで言っている「アイデア」とはいったいなんなのだろうか。

商標:オセロ

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上記の長谷川氏が五郎氏であることの証明でもある。
  • 出願人:長谷川敏
  • 商標登録願 1972年11月22日
  • 登録査定 1976年6月25日

メンテナンス情報 (Maintenance information) | J-PlatPat/AIPN

現在の権利者は「株式会社オセロ」だが、昭和51年の商標公告では長谷川敏名で掲載されている。登録の申請は、ツクダオリジナルに持ち込んだ翌月だった。

なおその後、1973年1月に日本オセロ連盟設立。1973年4月7日に第1回全日本オセロ選手権大会が開かれている。
団体設立や大会の開催は、オセロ商品発売に先立って行われている。この辺のスピード感、成功の確信があったのだろうか?

オセロの商品発売日

  • 1973年4月25日(長谷川氏による見解)
  • 1973年4月29日(メガハウスによる見解)

時期が食い違ってしまった理由は不明。


雑誌記事「大流行の「オセロ」ゲームづくり一代」

  • 現代 十二月号
  • 1973年12月1日発行
  • 記事タイトル:大流行の「オセロ」ゲームづくり一代
  • 著者:長谷川五郎

発売から半年ちょっとで大流行との記事。当時の流行の程が窺える。
記事中で、「源平碁を原型にしよう」と明言している。
「何か原型になるものはないか?そのとき私は、兄が三十年以上も前の小学生時代に源平碁をやっていたことを思い出した。おはじきより小さい丸い赤と白の石を使い、ます目の中に交互に石をおきながら陣取りをするゲームである。現代は滅びてしまったが、これを土台に改良すればいけると直感した。」
先の実用新案申請を見ればわかる通り、「オセロ」は源平碁を改良したゲームではなく、源平碁の道具の改良にすぎない。
6×6、8×8、10×10の広さの盤面を検討し、6路は簡単すぎ、10路は複雑すぎたと言っている。8×9などの正方形でない形の盤については言及がない。
また、後年でてくる挟み碁などへの言及もない。


ニップの商品発売

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単品の商品である、逆転ゲーム・ニップ。

1975年発売。
緑の盤面と白黒の駒、そして計算表がついているのは、大ヒットしたオセロの影響と思われる。


雑誌記事・源平碁の存在の指摘

こちらは現物未確認のため詳細は言及できない。
「オセロゲームは最近発明されたと思いこんでいる人が多いが、日本に古くからあった「源平碁」、十九世紀からある「リバーシー」というゲームと同じもので、明治四十年に刊行された『世界遊戯法大全』に「裏返し」と原題の直訳で紹介され ...」
という記事があるらしい。早い段階で、オセロの独自性に疑問を持った人がいたことを物語っている。

私とインターネット

これらの情報の多くは、インターネット上で調べたものがほとんどだ。
かつてならインターネット上では見つからなかったものも、たとえば書籍や公文書の電子化によって、脚を使わなくてもネットで調べ、ネットで見つけることが可能になった。そのぶん、いい加減な情報にぶつかる場合も多いから、どの情報が確からしいか精査する能力はより多く求められるようになっているけれども……。
それにしても、ほぼネットに公開されている情報で、オセロの出自をほぼ明らかにできる日が来るとは思わなかった。これも、いろんなことを調べる多くの物好きたちのおかげだと思う。自分も物好きの一人として、嬉しく思う。
私から見えるインターネットの風景というのは、物好きたちがよってたかる場所なのである。
……このくらい書いたら、はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」への応募資格を満たせるかなあ。


おまけ

手持ちのニップの画像たち。
ウィキペディアで精力的にオセロの記事を更新している方から「ニップの写真を用意できないか」とツイッターで相談されて、いくつか撮ったのだけれども、渡そうと思ったときにはそのツイッターのアカウントがもう消えていた。やり先もないのでここにアップロードして供養とする。

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紙製ニップ。
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ハナヤマゲームカルテットに収録されているニップ。
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ハナヤマゲームカルテットに収録されているリバーシ/源平碁。

ニップ発売の項の逆転ゲーム・ニップの写真と、このおまけの画像については、自分は権利を主張しません。