紙ブグロはてな

新しいものについ飛びついてしまった後悔を綴ることになりそうな気がするけれどならないかもしれないブログ。

寧々さんの青春の1ページ/第1話の感想 #loveplus

寧々さんの青春の1ページの最初の話を見た。
NEWラブプラスに関してはいろいろと思うところもありマイナスのバイアスがかかっているので、どうしても辛口の評価になってしまう。以前だったらスルー出来たような違和感が、ちくちくと気になる。ともあれ、こういう気持ちを溜め込んでも仕方がないので吐き出してしまおう。

ひとことで感想を言えば、店長とカレシが相当ヘタレでイライラした。

寧々さんとライバル店アイーシャダイニングのマネージャー槍沢さんの二人を持ち上げようと言う意図で、相対的に二人を下げてるのだろうけれど、やり過ぎで物語がコントにしか見えない。特に店長の扱いはひどい。
デキシーズの店長は、友だちパートなどでは寧々さんに任せっきりにしてしまうシーンとかも確かにあったけど、基本的にはしっかりした社会人としてえがかれていたはずだ。ラブプラス+のチェックイベントで見せるやり取りはそれなりに出来る風だったし、寧々さんとの会話のなかでも、寧々さんが店長について信頼を寄せているであろう事は伝わってきていた。
それなのに、あれである。腰抜けで考えのない感じ。
あれじゃあ、デキシーズの危機なんて話になっても「店長変えろよ」と言う感想しか持てない。仕事は出来ないけど人柄の店長なのだとか、そういう前ふりもないのだから、「こいつクビにしてもっとまともなやつ連れてこい」としか思えない。
結果として、「アイーシャダイニングが強い」ではなくて「デキシーズがヘボくて勝手に負けそうになっている」ようにしか見えない。「店長がヘボイから負けそう」にしか見えない。

店長もやり手だけど「アメリカじこみ」の攻勢に押されている、みたいな感じにどうして出来なかったのか。デキシーズ店長は正攻法でがんばっているけれども(例えば従来の枠組みへのこだわりが強すぎるなどの理由で)上手くいかないとか、そういう話の流れにする事は出来たはずだ。その方がアイーシャダイニングのライバルとしての強さも実感出来たはずだ。
あのやり手の店長が真剣に取り組んでいるのに、アイーシャダイニングに押されている。アメリカじこみの集客テクニックにやられてる。どうにかしなきゃ!

一頃のルパン3世テレビスペシャルで顕著だったのだけど、銭形警部がただの馬鹿に成り下がってしまい、どうみてもルパンが勝って当然と言う感じになっていることがあった。コメディリリーフ的に銭形を使った結果でもあるのだけれど、本当なら「敏腕刑事の銭形ですら取り逃がすルパン」であるはずなのに、「ルパン程度すら捕まえられないへぼ銭形」にしかなっていない。今回の店長はこのパターン。

どうもラブプラス+以降のラブプラスの長めのシナリオは、前段で落として後段で持ち上げると言うパターンが多いようだ。
評判の悪いラブプラス+のエイプリールフールのイベントや、NEWラブプラスでのバレンタインやホワイトデーでのイベントなど、カレシに不安を抱かせようとして無理のあるシナリオになっている(彼女の行動が、らしくない)と感じる。

読書月間で彼女が話す本への感想なんかもそう。始めのうちは内容に対する不満や不安が中心なのだ。でもちょっと待ってくれよ、その本を読みたいと言ったのはあなたですよ?とカレシとしては思う。
寧々さんは、自分から一緒に読みたいと提案した本について、すぐに愚痴をこぼすような人じゃない。そう信じていたカレシにとっては、読書月間のイベントの寧々さんはまるで別人のように感じたはずだ。
「読み進めるうちにだんだん読書の愉しみにハマっていく」と言う演出をしようとして、全体の整合性がおかしくなっている。最初から読書を楽しんでいる感想を話すようになぜしなかったのか。はなから楽しいと思って読んでいるカレシが、彼女の不満げな感想を聞いてどう思うだろうとか、考えなかったのか。

「抑圧」→「解放」とか「不安」→「解消」は作劇術としては基本的なカタルシスの出しかただけれども、そういうストレス要素がラブプラスに本当に必要なものなのかもう一度開発チームは真剣に考え直してほしいと思う。
そんな茶番劇は誰も望んでいないのだから。